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終戦後、1947年石井漠舞踊研究所に入所。
1949年新設の『谷桃子バレエ団』に入団。間もなく谷桃子のパートナーとなる。以降20年間、谷桃子女史と共に「白鳥の湖」「ジゼル」をはじめ数多くの舞台に出演し、名コンビとして一時期を画した。
1960年チャイコフスキー記念東京バレエ学校設立に伴い、モスクワ・ボリショイ劇場より派遣の、故Aワルラーモフ、Sメッセレルに学び、同バレエ学校公演日本初演「くるみ割り人形」、日本初演「まりも」の主役を演じた。また、谷桃子バレエ団公演日本初演「ドン・キホーテ」でも主役を演じている。
しかし1962年東京バレエ学校世界初演「まりも」公演最終3日目の舞台出演中に右アキレス腱を切断。以降ドラマ性の強い役柄を選び、自ら芸域をひろげ、振り付けも手掛けるようになる。
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1967年には、キューバ国際バレエフェスティバルに日本人として初めて谷桃子女子しと共に招聘されハバナを中心に各地で踊る。ボリショイバレエからは、故ウラノワ、マクシモワ、ワシリエフ、英国ロイヤルバレのハステル、フランスからはブリューエルなど各国の代表が多く参加した中、欧州の舞踊家にも成せないテクニックを観せ、11回ものカーテンコールを受けた。
1968年独立。1970年小林恭バレエ団を設立する。定期公演を中心に旺盛な作品創造活動を続け、団のレパートリーは70作品に達する。
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